節目を超えて!
      ・・・更なる飛躍を・・・
 (平成17年度)

熊本国府高等学校長 石川博敏


 南欧の建物を思わせるオレンジ色の屋根、白色の壁が初夏の陽射しに燦々と映える本校前庭玄関脇に、2つの胸像が建っている。それぞれの台座には、戦時下のもと大変厳しい環境の中にあって学校創設に奔走されたお二人の崇高な教育理念、さらには本校建学の精神等がしっかりと刻まれている。

 1つは、熊本国府高等学校の原点である熊本女子商業学校の設立に尽力された中山造酒夫初代理事長の胸像である。
 中山造酒夫先生は、熊本商工会議所の会頭の職にあられる折、熊本経済界の発展を願う立場の中で、女性の実務教育こそが国力の消長にも繋がるという強い信念から、商工会議所内において女性の職業教育に熱心に取り組まれたということである。このことが昭和16年、いよいよ戦時色が濃くなっていく世相の中であったが、商工会議所から分離独立した実業学校令に基づく本県最初の「熊本女子商業学校」の創設と発展をみたのである。
 当時、本県においては県立の商業学校が一校あるのみであり、全国でも極めて希なことであったと言われている。そして戦後の学制改革によって校名が「熊本女子商業高等学校」となり、以来半世紀にわたって本県後期中等教育並びに職業教育の拡大充実に多大の役割を果たし今日に至る。
 なお、中山造酒夫先生は戦中、戦後と物心両面において不安定な世相の中で、設立から20年間にわたり経営の要としての理事長を務められた。

初代理事長中山造酒夫先生(左)と初代校長早坂留平治先生(右)の胸像(撮影:2005/06/22)

 2つ目は、初代校長、早坂留平治先生の胸像である。先生は初代理事長と共に学校創設に奔走された後、既に当時、ゆうに60歳を超えておられたが、永年にわたって培ってこられた教育経験を活かされ大戦の最中を、さらに戦後の窮乏の中をくぐり抜けられ、実に25年間にわたり学校運営に当たられたのである。
 先生の「人間全体を正しく成長させる全人教育を基盤として、身体的、情操的、知性的、社会的四面の調和的発達を遂げしめることこそが、新しい日本の建設の基礎となるべきもの」という固い信念は、他の追随を許さないものであったということである。
 それぞれの胸像の眼差しは、日々正門をくぐる生徒諸君並びに私たち職員に対して、時を超えて本校建学の精神を語りかけていただいている。

 さて、平成17年度も新入生444名を迎え、新学期当初の過密な諸行事も順調に進んでいる。去る5月14日には初夏の爽やかな空気の中、江津湖周辺遊歩道から第二空港線を辿る約30kmのコースで行われた本校伝統行事である強歩会では、参加生徒の全員が清々しい汗を流しながら無事に完歩を果たし、今日の国府生の意気盛んな姿を示してくれた。

 6月3日から開催された本県高校生の一大イベントである県高等学校総合文化祭及び県高等学校総合体育大会には、本校生もそれぞれに多数参加をした。
 総文においては、開会の前日に実施された吹奏楽や郷土芸能等のパレードの中で本校のバトントワリング部が街ゆく人に鮮やかなバトン演技を披露したところである。さらには将棋部門で出場した2年生男子が、個人戦で昨年に続いて優勝を果たした。このバトントワリング部と将棋部門優勝者は8月に青森県で開催される全国高等学校総合文化祭に熊本県代表として出場することになっている。
 一方、高校総体には男女合わせて200名が17競技に参加し、優勝種目数こそ昨年より1種目少ないが、団体競技優勝2、準優勝2の素晴らしい活躍を示してくれた。殊に、男女ハンドボール決勝戦はそれぞれにライバル校と激しく競い、本校が終盤に大逆転をするというドラマチックな展開となり、応援に駆けつけた生徒諸君や保護者、職員にこれに勝るものはない感動を与えてくれた。
 また、陸上競技でも長距離種目等で優勝及び入賞があり、さらには準優勝ではあったがサッカー及び女子バスケットの優勝校との互角の戦いなど、「熊本国府魂」を随所で示してくれた高校総体であったと思う。

 本校は男女共学制を導入して早10年の節目を超えた。今日の活気を糧として、生徒・職員一丸となって更なる飛躍を期したいものである。

平成17年6月

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