球磨郡五木村の「五木の子守唄」は天草郡天草町福連木地区に伝わる「福連木の子守唄」が、天草から山仕事で五木に入ってきた人により伝えられたという説(福連木出身の子守り娘たちが人吉に奉公にきて伝えたとも)もあります。確かに、歌詞は似ているところが多いのですが、メロディーはだいぶ異なるようですし、定かではありません。
五木の子守唄は山村の厳しい暮らしの中から生まれ、長く唄いつがれてきたものであることだけは確かです。五木村では、戦後の農地改革まで、わずか33戸の「だんな衆」という地主以外は、ほとんどが「だんな衆」から山や土地を借り受け、細々と焼畑や林業を営んで暮らす「名子(なご)」と呼ばれる小作人たちでした。
名子たちの生活は厳しく、子供たちは7、8歳になると、食い扶ち減らしのために八代や人吉方面に奉公に出されたそうです。それも奉公とは名ばかりで、「ご飯を食べさてもらうだけで給金はいらない」という約束だったとも聞いております。
そうしたつらい奉公をまぎらわすために唄われたこの子守り唄は、他の大部分の子守唄(「眠らせ唄」や「遊ばせ唄)」と違って、「赤ん坊を眠らすための唄ではなく、子守り奉公をしている娘たち自身の嘆きの唄」だったと考えられます。歌詞を読めば、聞かせる唄ではなく、ひとりでさびしく口ずさむ唄だということは明らかです。子守り生活の悲しくつらいことばの歌詞が次々と続きます。
おどま親なし 七つん年で ひとの守り子で 苦労する |
|
おどんが打死(うちん)だちゅうて 誰(だる)が泣(に)ゃてくりゃか 裏の松山(まつやみゃ) せみが鳴く せみじゃござらぬ 妹でござる 妹泣くなよ 気にかかる |
|
おどんが打っ死ん(うっちん)だら 道ばた生けろ 通る人ごち 花あぐる 花は何の花 つんつん椿 水は天からもらい水 |
|
つらいもんばい 他人のままは 煮えちゃおれども のどこさぐ ねんえした子の可愛さむぞさ 起きて泣く子の 面(つら)憎さ おどんがお父っぁんな 山から山へ 里の祭りにゃ 縁がない |
もちろん、このような歌詞が生まれた暗く悲しい時代は、今では遠い昔のことで、現在のことではありません。(五木の子守唄のいろんな歌詞がこちらにあります)
しかし、最近マスコミ等で大きく取り上げられている「川辺川ダム」建設という新たな問題が発生しております。ダム建設によって、五木村の中心部のほとんどが湖の底に沈むとのこと。現在、周囲の高台(写真奥の高台や、撮影地後方)には、工事のための新しい道路や移転引越しの為の新しい住宅が次々と造られていますが、すでに村を離れた住民も多いと聞いています。(撮影:平成13年5月6日) |
今、五木村では、住民の村外流出、日本一の清流の消滅という新たな悲しい問題も発生しています。それでも、「すばらしい自然と歴史を大切に残し、新たな住みよい地域つくりを実現しよう!」という気運が大きく盛り上がっています。以下に紹介する美術作品なども、その熱意の現れでしょう。
「おいどんが死んだら おくわん(往還)ばちゃいから 人の通るときゃ花もらう ・・・ 」上益城郡御船町 「ねんえした子の可愛さむぞさ 起きて泣く子の面憎さ ・・・ 」上益城郡益城町 「おどま知らん知らん こがん子の守りにゃ守りにゃ飽かんばってん子に飽いた」宇城市豊野町 |
熊本の民謡と歌へ 東陽村の石橋へ 熊本の自然・文化へ 前のページへ