山都町の通潤橋(つうじゅんきょう)

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通潤橋、実用性・堅ろう性・美しさを兼ね備えた眼鏡橋 阿蘇外輪山の南西側すそ野、上益城郡山都町(旧矢部町)に、全長79.64m、橋幅6.65m、橋高21.43m(昭和59年3月の通潤橋修理工事報告書より)の堂々とした「通潤橋(つうじゅんきょう)」という、大きな石橋がある。この橋は江戸時代ペリーの来航騒ぎの最中、安政元年(1854)矢部手永(てなが)惣庄屋(そうじょうや)布田保之助(ふたやすのすけ)の企画、石工丈八(じょうはち)達の技術、矢部郷住民の献金と労力奉仕のもとに完成したものである。

通潤橋は人を渡す橋ではなく、橋の上に石造パイプを3列並べた通水管を通し、水を渡す水路橋である。水路は水の吹上口が取入口より約6m低くなり、逆サイホン(注)とも呼ばれる連通管によって対岸に水を送る特異な構造になっている。アーチ橋自体の技術史上、また文化史上貴重な遺構、極めて重要な建造物と認められ、昭和35年2月9日に文化財保護法の規定により、国の重要文化財にも指定されている。


「通潤橋」名前の由来
通潤橋は当初は、「吹上台眼鑑橋」と呼ばれていたが、肥後藩の藩校「時習館」教導師であった「真野源之助」が「易損卦程伝」にある「澤在山下其気上通潤及草木百物(サワハサンカニアリ ソノキウエニツウズ ウルオイハ ソウモク ヒャクブツニオヨブ)」という文章から採択、「通潤橋」と命名したものである。(子孫であられる真野豊雄先生の「通潤橋と真野源之助」より)何と的を射た命名であろうか、先人の知恵に感心するばかりです。

  
通潤橋のデータ
総長(上流側石垣南北両端間距離) 79.640m
幅員(アーチ中央上下流石垣外面間幅員) 6.650m
総高(水面より橋中央上端) 21.430m
アーチ幅(上流側アーチ間距離) 26.460m
アーチ幅(下流側アーチ間距離) 26.510m
石垣総面積(アーチ下面を含む表面積) 1802平方m
アーチ下面を含む表面積 264.71平方m
中央通水石管高低差(取入口と吹上口の石管下端) 2.130m
中央通水石管高低差(取入口石管口下端と中央石管放水孔下端) 7.760m
通潤橋のデータは、矢部町の通潤橋保存修理工事報告書(昭和59年3月)より
作成時のミスで、面積が違っていました、訂正しました(2005/10/07)
 
通潤橋(春) 通潤橋(夏)
通潤橋(秋) 通潤橋(冬)
写真は春・夏・秋・冬の通潤橋です。冬の雪景色(2004/02/07)以外は矢部町(当時)役場よりご提供戴きました。通潤橋放水の写真は別ページに特集が。
石管の防水工事(平成の修理)が行われていましたが、工事も無事に終了(2002年3月)。中断されていた放水も再開しました。水は水田かんがい用の為、田植えや水不足の時期は放水は中止。それ以外は、土・日・祝祭日の正午に定期的に放水(15分間)されるほか、1回5千円での有料放水(受付電話:0967-72-1933)もあります。
最終更新:2006/09/14 <制作>熊本国府高等学校パソコン同好会

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