The School History On Map

熊本国府高等学校

 ここでご紹介するのは、本校創立直後の1942年、創立30周年頃の1970年、本校が現在地に移転した頃の1983年の3枚の地図です。現在では聞いたこともない地名や、現在とは異なる道路や市電路線などの情報が読み取れます。なお、3枚の地図は当時の地図を参考にして、ウィンドウズ付録のペイントを使って一つひとつ目測で作成したため、縮尺及び範囲が微妙に違っていることをお断りしておきます。
 
昭和47年の地図
 上の地図は1942年(昭和17年)当時のものです。当時の本校は、現在の出水小学校の北側にあり、本校の前が市電の終点「水前寺」電停でした。成趣園とあるのが水前寺公園です。本校は、現在とは校名が違い「熊本女子商業学校」として、1941年(昭和16年)に開校しました。その6年後の1948年(昭和23年)には「熊本女子商業学校」から「熊本女子商業高校」に校名を改めます。興味を引くのが電停名「国分」です。

昭和45年の地図
 上の地図は1970年(昭和45年)当時のものです。第二次世界大戦中、市電が健軍まで延長されることになり、本校の運動場の真ん中を道路が通る事に、校地は市電の南側だけになり、校外にグランドができました。周辺の通りにも商店などが立ち並びます。当時、本校は県内のどの高校よりも早くコンピュータを導入し「コンピュータ教育」を推進します。生徒数も年々増え、運部活動もより活発になります。

昭和58年の地図
 上の地図は1983年(昭和58年)当時のものです。本校は、1981年(昭和56年)に現在の国府2丁目(元のグランド)に移転します。敷地面積は以前よりも広くなりました。1995年(平成7年)、本校は校名を「熊本国府高等学校」と変更、翌年には男女共学校として新しいスタートを切り、校外に第2グランドや第3グランドも開設、現在に至っています。

地図は熊本県立図書館所蔵の地図を利用し、当館の承諾を得て作成

 
 最初の地図(昭和17年)で、現在の電停「国府」の名称が「国分」となっていたのに気付きましたか。戦前は「国分?」だったのでしょうか。現在はバス停も電停も、全て「国府」です。読み方はともに「こくぶ」ですが、いつから変わったのでしょうか、それとも間違ったのでしょうか。興味深いというか、面白いと思いませんか? 本サイトの別ページ「熊本の地名四方山」に関連情報が。
 なお、市電の終点「水前寺」に市立動物園(1929年7月から1969年2月28日 まで)を造ったのは市電利用者を増やす為だったそうです。計画は見事に当たり、乗客が増加し、赤字も解消したとのことです。すばらしいアイデアですね。(2005/01/17)

製作:熊本国府高等学校PC同好会(最終更新:2009/03/12)


「もどる」前のページへ 本校の沿革 創立時の周辺地図 現在の周辺地図