戦争はいじめに似てる

・・・ 黙っていては、いじめっ子と同じ。勇気を持って立ち上がろう! ・・・
 

 

 最近、いじめ問題が大きな話題となっています。いじめによる自殺が相次ぎ、何とも言えない寂しさとともに、腹立たしささえ覚え、悲しくなってしまいます。

 私も小学校のとき、いじめにあった経験が・・・。同じクラスのいじめっ子に睨(にら)まれ、休み時間になると決まって私が標的にされ、意地悪をされていました。彼の行動に逆らえば、自分に仕返しをされるのではないかと、誰も逆らうものはいません。周囲の級友たちは積極的に意地悪をするのではなく、ただ黙って見ているだけです。いじめっ子一人なら大したことないんですが、周囲の友達の存在が気になるのです。私にとっては憂鬱(ゆううつ)な毎日でした。

 ところが、ある日のこと。一人の級友が「ごめんね、俺はしたくないんだけど、逆にいじめられたら怖いから・・・、本当にごめん!」と言ってくれました。そんな気遣ってくれる級友がいたことに、心強く思い、勇気が生まれました。「俺は大丈夫だから気にしないでよ」と応え、その後は、いじめに対して、少しずつ抵抗していくようにしました。そうなると周りにいる何人かの級友たちも、気にするそぶりを見せてくれるようになり、次第に「いじめっ子本人」を無視する雰囲気がクラス内に生まれ、いじめもなくなっていきました。

 皆さんの周囲にも、あなたのことを真剣に思ってくれる友達や先生、それに家族が大勢いる事を忘れないで下さい。「けして一人ぼっちではないんだ!」ということを知っていて欲しいと思います。そして「いやな事はいや!」と、はっきりと「立ち向かう」勇気を持って欲しいのです。黙っていては、いじめ易(やす)くするばかりです。いじめられ難(にく)くする態度も大事です。

 更には、いじめを黙って見ていることは、いじめに参加していることと同じです。あなたがその立場なら、今すぐいじめられている友達のほうに話しかけ、励まして下さい。一人では勇気がないのなら、友達と一緒にでも。誰だって仲間がいるという事が一番心強いものです。いじめをじーっと見ているだけでは、いじめっ子から仲間と思われてしまい、じめっ子自身が心強く思ってしまいます。ただ見ているだけでも加害者なのです。

 新聞の投書に、60歳代の女性が書いておられました。「小学校の同窓会が1年おきに開かれているが、10年ほど前、初めて参加した当時のいじめっ子、周囲の雰囲気に居たたまれなくなり、すぐに立ち去り、その後は2度と顔を見せない」と。「いじめ」って、何十年経っても、許せない行為なんです。しかし、いつまでも許してもらえないとなると、いじめっ子も可愛そうですね。更には、このようにいじめを許さぬ気持ちが全体にあったのなら、いじめ自体も発生しなかったのではないでしょうか。

 いじめは戦争への構図にも似ています。悪いことを黙って見過ごせば、協力したことになってしまいます。「正しいことは正しい、悪いことは悪い」と言える社会が一番。過去の戦争のとき「戦争に反対出来ない状況に置かされ、国民全部が戦争に協力的に動いてしまったという過ちを二度と繰り返さない為にも」。一人ひとりが信念を持って、平和な社会や学校を築いていきたいものです。

みんな、一人ぼっちじゃない!

一人で悩まないで、誰かに話そう!

勇気を持って話せば、みんなが助けてくれる!

黙って眺めていては、いじめっ子の仲間!

「良いことは良い、悪いことは悪い」と言える勇気!

 誰にも相談せずに一人で思い悩んでる人、勇気を出して誰かに話してみませんか。直接話すのがイヤだったら、肥後っ子テレホン(TEL:096-384-4976)や熊本県教育委員会(TEL:096-381-8000)や法務局の人権相談所(TEL:096-364-2145)、熊本市のいじめ電話相談室(TEL:0120-03-4976)などに電話やメールするのもいいでしょう。私たちも陰ながら応援します。

 「いじめ」と「戦争」、何となく似かよったところが。戦争もいじめも、誰だって悪いことだと知っていますが、なかなかなくなりません。更には、今もどこかで・・・。私たちとしては、同世代、それも学校での問題ということで、平和問題以上に関心を抱かざるを得ません。なくす為には、ただ傍観(ぼうかん)するのではなく、一人ひとりが勇気を出して、立ち上がることが必要です。更にはそれを周りの人が支えていくことが大事です。いじめは絶対に許せません。いじめなんかに負けないで下さい。「いじめやそれに伴う自殺が少しでもなくなれば!」という願いをこめて、本ページを発信します。戦争もいじめと似ています。(2006/12/01)

熊本国府高校PC同好会

最終更新:2006/12/03


平和を考えるへ