ホームステイ紀行

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 2005年8月4日〜18日の2週間、私はISAが主催する「ニュージーランドホームステイ&海外研修14日間」に参加しました。

 私がこの海外研修に参加した理由は、自分の得意科目である英語をさらに伸ばすには、ただ単に机で学習するよりは実際に海外で英語を直に学んだ方が自分のためになると思ったからです。また、異国の文化に触れ、また日本の文化を外国の人たちに知ってもらえる機会を作りたかったからです。

 2005年3月、私は英語の顧問の先生に「ホームステイに行きたい」という願望をぶつけました。そして、先生から中高生向けのホームステイ参加者の募集のチラシをもらい、5月に最初の説明会に行きました。最初の説明会では資料が渡され、ISAの関係者が巨大スクリーンでホームステイ実施国を紹介してくれました。私は興味津々にスクリーンを見つめ、海外研修に対する思いが一層深まりました。しかし、ホームステイ参加費は想像以上に高額でした。しかし、母の「今、行っておかないと後で後悔するから是非行かせてあげたい」という思いが伝わり、6月中旬に私はホームステイに行くことを決心しました。

 それから、私は県庁でのパスポートの申請や大きなスーツケースの購入などとホームステイの準備を着々と進めました。7月に最終オリエンテーションが行われました。その時、私は課外の日程に重ならない実施日の「ニュージーランド」のコースを選択しました。担任の先生や教科の顧問の先生までもが、私がホームステイに行くことを嬉しく思われ、親戚からも餞別を貰いました。私も貯金した甲斐があり、トータル50000円を引き下ろすことが出来ました。ホームステイに行く前の夏休み、課外に出席し、友人たちとホームステイの話題でいっぱいになりました。

 そして、待ちに待った2005年8月。熊本交通センター・福岡空港行き5番乗り場から旅が始まりました。早朝5時35分発の福岡空港行きのバスに乗り、胸を弾ませながら熊本に2週間もの別れを告げ、2時間30分後に福岡国際空港に到着しました。初めて訪れた福岡空港は開放感が溢れ、また、旅立つ自分にも希望の思いが満ち溢れていました。集合時刻の8時30分まで南口団体受付の前で今か今かと待ち続けました。そして、メンバーと初対面、西日本各地から集結した中学1年生から高校2年生計14名と引率者の女性が初めて顔を合わせました。ISAの方から説明を受け、親に別れを告げて私たちは出発口へと足を運びました。岡山・新見市から来た仲間と自己紹介しながら歩き、ホームステイのこと、地元のことなどで会話を弾ませました。10時00分に福岡発シンガポール行きのシンガポール航空の旅客機に乗り込みました。その時感じた離陸の瞬間は今でも忘れることができません。福岡からシンガポールへの飛行時間はおよそ6時間。機内では座席の前のモニターでゲームや言語学習などをしてラフな時間過ごしました。初めて食べた機内食は肉か魚のメニューを選び、民族衣装を着たスチュワーデスが親切に機内食を運んできてくれました。その時の優しさを今でも忘れることが出来ません。およそ6時間の空の旅を終え、第一の国、シンガポールに到着しました。シンガポール国際空港は東南アジアのターミナル空港だけあっていろんな国の人々が家族連れで訪れていました。ニュージーランドへの搭乗時間までの8時間は空港内を散策したり、仲間とトランプをしたりして過ごしました。その日の夜、ニュージーランドへ向けて出発しました。

 翌朝、ニュージーランド・クライストチャーチ国際空港に到着。ちなみにニュージーランドは南半球に位置しているので、日本と季節が逆で時差が日本より4時間進んでいます。到着後、現地の先生・ミッシェルに出迎えられ、早速クルマに乗って研修の舞台である小学校に連れて行かれました。日本とは全然違う町並みに少々戸惑いながらも広大な自然に囲まれた町をクルマの中で見とれているうちに小学校に到着。研修の舞台である小学校の音楽室を借り、そしてそこで先生の紹介のあと、地元で話題のピザを食べ、また現地にしかない酢と鶏の味のポテトチップスも食べました。現地時間の午後2:00にホストファミリーと初対面しました。私のホストファミリーのママはジュリー(当時44歳)でした。彼女は私をクルマに連れて行き、そこで助手席に座っている彼女の三番目の子ども:ジョン(当時11歳)に会いました。ジョンは背が低く、声変わりもまだしていません。クルマで学校から5〜10分掛けて家に着きました。ジュリーの夫は遠くで農場を経営しているため、滅多に帰ることがなく、代わりに彼女のボーイフレンドのオーレン(当時44歳)が毎晩ジュリーに会いに来るそうです。ジュリーには長男のアンドリュー(当時14歳)次男マシュー(当時13歳)そして先ほど紹介した三男のジョンの3人の息子がいます。彼らの住まいは1階建てで母屋と別棟に広い庭がありました。

 週末はジュリーと彼女のボーイフレンドとジョンの4人で買い物に出掛けたり、屋内ゴルフを楽しんだりして思い出を作りました。また、ジュリーの姉のメアリーにも会い、彼女の家で卓球を楽しんだり、彼女の飼い犬と戯れたりして夢のような時間を過ごしました。さらに日本通の彼女の夫とも地元熊本についての話で意気投合しました。そしてメアリーが受け入れている愛知・豊田市からの25歳の女性とも会うことが出来ました。

 海外研修では現地の先生・ミッシェルが小学校の音楽室でニュージーランドについての授業を行いました。授業ではニュージーランドの自然・住まい・動物・食べ物・言葉などでジェスチャーゲームやドローウィーングゲームなどのリクレーションもありました。また「interbal」という時間では現地の子どもたちと広い校庭で楽しく遊びました。現地の子どもたちとは折り紙を教えました。ニュージーランドでは折り紙は日本よりも高価なもので日本から持参した折り紙を見て、まるで戦後アメリカ兵からチョコを貰う子どものように飛びついていました。ツルやヒコーキ、バルーンにカブトと童心に戻って折り紙を一緒に折りながら楽しい時間を過ごしました。研修のなかではクライストチャーチ市内の大型ショッピングセンター「NORTHLANDS」で研修を行い、また仲間と買い物を楽しみました。ホエールウォッチングではクライストチャーチ市内から約3時間かけて港町・カイコウラを訪れました。カイコウラの入り江でフェリーに乗り、青々とした海に泳ぐクジラの巨体をカメラに収めました。ウイローバンク自然公園では現地原産の珍しい生き物に逢うことができました。キウイという小さな鳥は暗室で飼われ、現在、保護動物に指定されています。他にも南国ならではの動物や生き物と触れ合うことができました。クライストチャーチ市内観光ではトラムという市電に乗り、市内の中心部を一周し、クライストチャーチ大聖堂という大きな教会で現地の歴史について学びました。またてっぺんでは市内の全域を一望に見渡せることができました。

 滞在中は親戚宛にエアーメールを送ったり、ジョンとテレビゲームをして遊んだりしました。また、ジュリーの友人やジョンのおばあさんにマシューの友達と来訪者にも気軽に英語で会話をすることができました。また夜は日本では決して見ることの出来ないテレビ番組:ニュースやドラマにアニメを見て会話を弾ませました。私は日本の歌を聴かせたり、地元・熊本の写真を見せたり、写真を撮ったりして楽しい思い出をつくりました。私がホストファミリーと過ごして思ったことは日本人にない寛大さと優しさに驚きました。また、現地の子どもは積極的で決して私たちを恐れたりしませんでした。子どもたちは大人に近い私たちと快く一緒に遊んでくれることに感激しました。そのため現地の子どもたちとすぐに仲良くなりました。私は日本から持参した折り紙と英語で書かれた折り紙の本を小学校に寄贈しました。私はニュージーランドは土地が広いだけではなくヒトの心も広いことも実感しました。

 ジュリーのガイドワークのため福岡・大野城市から来た仲間のホストファミリーと休日を過ごしました。彼のホストファミリーの老夫婦・マクドナルドさんとの思い出は浜辺に連れて行かれ、仲間と裸足になって砂浜を歩きました。また海の上にある歩道橋で潮風を浴び、南の海を見渡しました。丘の上をドライブしていると港で日本から運ばれた自動車を船から降ろしている様子を目にすることができました。また日本ではあまり取れない鉱山資源を産出している様子も目にすることができました。また、マクドナルドさんとマクドナルドを一緒に食事をしました。ニュージーランドでもマクドナルドが何件かあり、しかも日本にないメニューもありました。私は日本よりもマクドナルドで食べる人が多いと思いました。何故なら昼時は長い列をつくり、食べるためのテーブルも日本よりく多く感じられたからです。別の日には福岡・大野城市から来た友達と2人で市内の温水プールで思う存分泳ぎました。温水プールでは波の出るプールや流れるプールで1時間半も泳ぎ、偶然会った子供たちとも無邪気に遊ぶことが出来ました。

 滞在中は発見もいくつかあり、夜空の星が宝石を天に散りばめられたかのように見えました。食事は主食となるものがなく、クマラポテトや鶏肉にソーセージをよく食べました。また間食に食べたアイスは現地では「オキポキー」と呼ばれ、アメ細工で挟むという独特の食べ方があるそうです。

 最終日にはお世話になったホストファミリーを招待してサヨナラパーティーを小学校で催しました。14人がホストファミリーや現地の先生たちに感謝の意味もこめて「書道」「茶道」「空手」「歌」と個人で用意した出し物でホストファミリーを喜ばせていました。最後には「Believe」をみんなで合唱し、感動的なフィナーレを飾ることができました。長崎・五島市から来た友達と最後にホームステイの思い出について話し、またメアリーやマクドナルドさんとも最後の別れを惜しみました。

 翌朝(8月17日)にスーツケースに荷物をまとめ、帰国をする準備をしました。ジュリーから私の家族への土産を貰い、小学校に集合して研修のまとめをしたあとにクライストチャーチ国際空港に向けて出発しました。「ニュージーランドともこれでお別れか…」と思いつつ、免税店でクラスのみんなと親戚のためにクッキーを購入しました。その後は飛行機に搭乗し、シンガポールへ出発しました。機内ではニュージーランドのデザートを食べ、最後のニュージーランド気分を味わいました。ニュージーランドを過ぎるとオーストラリア大陸が見え、広大な砂漠が見えました。オーストラリア近海にはカクレクマノミが生息するそうでおとぎ話にも出てきそうな豊富な自然に囲まれた孤島も見えました。往路と同様に10時間の空の旅を楽しんで夜8時00分にシンガポールに到着。夜2時00分の搭乗時間までは構内でシンガポールならではの土産をたくさん購入しました。また、仲間ともトランプをして最後の思い出をつくりました。夜2時00分にシンガポールを出発。翌朝8時00分に福岡国際空港に到着し、2週間ぶりに日本に帰国しました。

 日本に帰国後は撮った写真で親戚や友人に聞かせて思い出話を聞かせました。9月半ば頃には本校(熊本国府高校)体育館で1年生の学年集会でホームステイ・海外研修についてスピーチしました。学年主任の先生や英語の顧問の先生方も私のスピーチに関心なさっていました。10月半ばに学校新聞(KOKUFU新聞)に私がホームステイ・海外研修についての記事が掲載されていました。私の出身中学(出水中学)にもその新聞が行き渡ったそうなので私を知っている先生方も驚かれたのでは!?また、10月半ばから翌年の1月半ばまで不定期に本校で行われた「国際交流」では熊本市内に滞在している外国人と料理や陶芸などを楽しむことが出来ました。また、海外研修で培ったコミュニケーション能力を上手く生かすことが出来ました。

 ホームステイ・海外研修を終えて私は将来、国内外を飛び回り、いろんな国の人たちと交友を深める人間(=国際人)になることを決心しました。そのホームステイ・海外研修が私の将来の夢に少しでも近づけたらと思いました。
 

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