皆既月食 (2001. 1.10)

今回の皆既月食は、残念ながら全国的に天気が悪く、
月食が観測できたのは九州の一部のみでした。
幸いだったのか、私の住む熊本では雲の合間から
奇跡的に部分月食を捉えることができました!

薄雲を通して、部分的に欠けた皆既前の月を
デジカメで撮影できましたので掲載します。
皆既前の月。薄雲を通してデジカメにて撮影。
皆既後、復円中の月。
皆既が終わって急速に晴れてきた。
なお、皆既中は本曇り状態で、月を見ることは出来ず。
皆既後、復円中の月を地上風景と共に捉えた。
月の下1/4ほどが欠けている状態。

欠けたままの月が、西の空に沈もうとしている中での
夜明けは幻想的であった。


観測記
AM01:19 2001.01/11(木曜日)
昨日、2001年1月10日未明の皆既月食は、なんとも不運なことに、
ちょうど月食の時だけ曇っていたため、殆ど見ることができなかった!!
そして、何とも腹立たしいことに、月食が終わったとたん、急に晴れたのだ!!!
またしても「私に月食を見させまいとする神のイタズラ」としか思えない
「気圧の谷の通過」で、皆既月食の1月10日未明は本曇りであった…。
 それでも、1993年6月4日の皆既月食のように、月食中の月を一度も
見ることができなかったわけではない。皆既前の欠けた月を、時折雲の合間から
薄雲を通してながらなんとか見ることができたし、皆既が終わって
復縁しつつある欠けた月も西の低空でチラッと見ることができた。
というわけで、皆既月食中の赤銅色の月は全く見ることはできなかった。
だが、部分食の状態は薄雲を通してチラッと見られたのである。

 「21世紀最初の皆既月食」などと馬鹿げた表現をするマスコミでは、
意外にもほとんど話題にならず、やはり前回の2000年7月16日最大級皆既月食の
時は皆既時間の長さをネタにできたから、マスコミでも盛り上がれたんだな、と
思った。そして、私が遠征観測に行ったテクノパークでは、思いのほか一人も
皆既月食を見に来た一般人はおらず、望み通り一人きりで観測できた。
1998年11月18日のしし群、2000年7月16日の扇坂での皆既月食の時など、
一般人でも天文現象を眺めにたくさんやってくるんだな、と思い知ったのだが、
今回の皆既月食の"ギャラリー皆無"はあまりに意外だった。

 観測に出発するまでは、とにかくインターネットで天気図をチェックしながら、
九州付近が晴れてくれることを祈り続けていた。最新の天気予報によると、
九州ではこれから天気が回復に向かうと出ていたので、ほぼ完全な曇天だったが
「観測しているうちに晴れる」ことだけを信じて、遠征観測に行く決意を固めた。
それはつまり、配達も休むことなので、午前2時半頃、携帯電話で連絡を
入れてみたが、まだ来ておらず、3時頃にもう一度かけることにした。
そして私は、観測に出発する準備をしていった。まず、インターネットから
皆既月食のデータ(欠け始め、食の終りなどの時刻、さらに皆既中に起こる
ふたご座δ星食のデータ)を得て、プリントした。さらに、前々から
リュックに詰め込んでいた観測機材一式、そして望遠鏡も団地の外に運び出し、
後は車で機材も運搬しながら、観測地であるテクノパークへ向かうだけとなった。
配達を休んだ罪悪感を感じながらも、やはり皆既月食という一大天文現象なので、
「曇っているから観測しない」という観測放棄は許されないのである!
だから、12th給料額が数千円減ってしまうけれど、数千円払ってでも
今夜は観測に行きたかったのだ! そんな自分の熱心さに、改めて「最近は
天体観測の意欲が薄れ気味に思えていたが、やはり皆既月食当日になると
嫌が王にも行かずにはいられないんだな…」と、自分の天文命さを実感した。

 午前3時頃、電話がかかってきたので休むことを告げた直後、もう観測に
出発することにした。今回は望遠鏡運搬なので、バイクで行くことができない
ため、仕方なく車で行ったのだ。車中で空を見ると、ほとんど曇ってはいるが、
雲の合間からたまに月の輪郭を見ることができた。だから、この時は
「雲の合間観測になるだろうが、皆既月食を見れないことはないだろう」と、
見られるだろうことを自分で確かめていた。
 そしてテクノパークに到着すると、重い望遠鏡を出して公園内に運んだ。
1998年11月18日にしし群観測した、あのベンチの近くの
"お馴染みの観測ポイント"まで望遠鏡を運んでいくのは面倒だったから、
人目が気になるが、入り口の所に望遠鏡等の機材をセッティングした。
もう大分行き慣れたテクノパークだが、望遠鏡を持ってきたのはこれが
初めてだった。
 機材のセッティングも終わり、いよいよ月食の始まりを待つばかりとなった。
…しかし!! 欠け始めの頃には、もう雲の合間はほとんどなくなってしまい、
月を見れないまま欠け始めの時刻、AM3:42を迎えてしまった!!
私は、(これから晴れてくると信じていたから)一刻も早く雲が取れてくるように
祈り続けていた。
 そうして、歯痒くも限りなく雲量が10に近い曇天の下で、時間だけが
空しく過ぎていった。月食も確実に進行していっているはずである。
私は、シャレんなんない鉛色の空を盛んに見回し続けて、雲が薄くなっている
箇所ができないか監視し続けていた。時計も度々チェックしながら、
プリントしてきた月食表を見て現在の欠け具合がどれくらいか想像した。
もはや雲の合間もほとんどなかったが、それでも月明かりで西の空の雲は
ぼんやり輝いていて、「あの辺に月がある」ことだけは判った。
なお、携帯電話で177番をかけ、正確な時刻を調べた所、腕時計は3分遅れで
あることが判ったため、腕時計の時刻+3分で今の月食の様子を予想した。
 そして、欠け始めて8分ほど経った03:50、月が雲の薄い箇所に差し掛かり、
雲の輝きも一層増してきた。私は急いで望遠鏡を構え、ファインターから
月の輪郭が姿を現すと、すぐさま中倍率(LV10[低倍率紛失中])で月を捉えた!
すると、薄雲を通してなのではっきりしなかったが、
…たしかに月が欠けているのが判った!!!! 欠け際ははっきりしなかったが、
たしかに月の一部の輪郭は見えなかった!! そうして、この時始めて月食像を
不鮮明ながらも観測できたことになり、たしかに月食が始まっていることを
実感できた。でも、やはり月食を見るのは今日が3度目(部分食では4度目)
なので、もう欠けた満月を見たときの感動は大きくなかった。
そして、今回の月食もこれまでと同じく曇天のため「欠け始め」の瞬間を
見ることができなかった。円形の月が徐々に欠けていく様子を途切れずに
見続けることこそが、月食をより幻想的に楽しめることなのだが、
1997年9月17日、1999年7月28日(部分垣間見)、2000年7月16日のこれまでの
月食は全て曇天で薄雲を通して、途中から欠けた月を見た、という残念な
月食観測になっている。そして、今回2001年1月10日も同様になってしまった。
ともかく、薄雲を通して初めて月食像を見た瞬間は、前回2000年7月16日の
欠けた月を初めて見た瞬間と全く同じ雰囲気だったので、前回の歯痒い曇天の
月食観測が今回も繰り返されている、と悔しく思った。
 そうして03:50に一旦欠けた像を確認できた後は、天気は絶望的な
"本曇り"に陥った。もう雲の隙間すら皆無である。灰色の雲に覆い尽くされ、
悔しいほどに明るい空になっていた。そんなわけで、ますます
絶望に打ちひしがれてどうしようもなくなった私。晴れる気配もない曇天の下で
何もすることがなく、月食が進行中という張り詰めた時であるべきはずなのに
「暇」に悩む自分が悔しくなってきた。天気予報はどうなってんだ!!
今日の天気予報は「晴れ」と出ていたのに、なぜ本曇りなんだ!! なぜ天気が
回復してこない!! …そんなことを叫んでは、一層の事今日配達に行ってれば
よかった、とさえ思ってしまった。真冬ではあったが、皮肉にも曇天のため
冷え込みが弱く、期待していたピリッとする寒さも味わえず、想像通りだった
のは「一人きり観測」だけになってしまった、2001年1月10日皆既月食…。
それでも、身動きせずにひたすらじっとしているので、少なからず寒かった。
 そんな曇天の中、「九州の天気は回復傾向」という天気予報を信じて、
それでもこれから晴れてくるのを信じ続けていた私。すると、
ふたご座δ星食の潜入が起きる、月が半分近く欠けているはずの04:16に突然、
空を覆い尽くしていた鉛色の空に、雲の切れ間ができ始めた!!!
私は一気に希望を取り戻し、早く切れ間が月の所に差し掛からないかと、
雲の移動を見続けた。
 そして、04:30、ついに薄雲を通して、三日月のように細くなった
月が見えたのである!!! それでも、薄雲を通しているので、影に入った部分や
欠け際などは確認できなかったが、確実に月食が進んでいる!!
曇天の空の下待ち続けていただけに、自然と喜びの声が漏れる。
 ようやく雲の合間から月食像を確認できたが、その後は雲の隙間が増えていく
こともなく、まだまだ本曇りに近い状態で推移していった。
 そしてその10分後の04:41に、再度薄雲を通して月が姿を現した!!
望遠鏡のアイピースから、不鮮明ながらも棒のように細くなった、
皆既直前の月を見ることができた!!
 しかし、その後は再び雲の合間はなくなっていき、やがてどんよりとした
本格的な本曇りになってしまった!!! 空港のライトが当たっていると思われる、
東天の一部の雲の輝きも明るくなり、もはや月を通して見られる隙間すら
皆無となったことを実感できる雲の厚みになった!!
もうあまりにシャレんなんない鉛色の空になったので、もう天気予報は外れた
としか思いようがなくなった。そして、回復傾向であるはずだった天気にも、
「もう回復しない」と諦めがついてきた。それでも、態々望遠鏡を運んでここまで
来たんだし、せめて皆既が終わるまでは観測を諦めることはできない。
だから、悔しいほどに退屈ながらも、曇天の空の下、なんとか奇跡的に
晴れることを祈りながら、天気回復を待ち続けた。無意味に時間だけが
過ぎていく。晴れる気配もない曇天の下でやることも何もなく、
冷たい冬の風も私を蝕み、とにかく「帰りたい」と思うようになった。
何もせずじっとしたまま何十分も過ごすのはさすがに辛かった。
 月食は、もう皆既月食に突入し、そしてそろそろ最大食分を迎えようと
している頃だ。そんな赤銅色の月を一度も見ることなく、もう待ち続けることに
限界を感じた私は、迎えを呼んだ。そして、まだ皆既が継続中の時間ではあるが
MY団地に帰ってしまったのである。…でも、その帰りの車窓から、突然
雲が切れ始めているのが判った!! 「な、何?! 今頃晴れ始めてきたのか?!!」
私は焦った。私が帰路についたとたん、急に晴れ始めたのである!!
このままだと皆既から復円中の欠けた月が姿を現しそうである!!!
ヤバい、まだ帰らねばよかった…、そう思いながらも、なぜか「晴れては困る」と
焦っていた。自宅に到着すると、望遠鏡等の機材を4階自宅に運び入れたが、
ふと窓を見ると雲の合間がかなり広がってきていて、星が見える!!!
もう西の空に沈みかけている月も、そろそろ姿を現しそうだ!!
私は焦りながら、テレビを付けた。いつもの朝番組で、月食の中継が
あっているかもしれないからである。…しかし、全国的に悪天候だったためか
中継はあっていなかった。その代わり、なんとか晴れた九州の一部で得られた
部分食の映像がニューストピックスで「21世紀最初の皆既月食」として流されて
いて、それはつまり「全国的に悪天候で月食は見れなかった」ということであった。
だから、雲の合間から欠けた月をチラッと見られた熊本の私は、意外と
部分食を見れただけでも当たり地域だったのかもしれない。
その後、インターネットの月食ライブ映像を見てみたが、なんかトラブッている
ようで、月食映像・画像は見られなかった。そんな、帰宅してメディアから
今夜の月食を探している時、ふと部屋の窓から西の空を見た。
 …すると、薄明が始まった薄明るい西空低く、
なんと下半分が欠けた月がハッキリ見えていた!!!!!!!
 私は思わぬ「月食との再会」に驚き、そして、もう今回の月食を完全に
諦めていただけに、薄雲のかかっていないはっきりした欠けた月の姿に
ちょっと感動した!! 残念ながら、赤銅色の皆既中の月ではなかったものの、
薄明が始まった西空に、上半分が輝く「半月」が街並みに沈もうとしている様子は、
あまりに印象的であった。普段なら夜明けに半月が沈もうとする様子なんて
絶対にありえないから、その風景は幻想的であった。そして、普通の
半月とは違い、欠け際がボーッとしているところ、さらに低空のため目の錯覚で
月食像が大きく見えたことなども神秘さを演出していた。
月が西の空に欠けたまま沈もうとしている中での夜明けは、
1997年9月17日の月食の最後を思い起こさせた。
 そうして、思いがけず半分ほど欠けた復円中の月を晴れ間からハッキリ
見ることができたが、それでもまだ雲が多く、完全に復円して月没するまで
の月の様子を見続けることはできなかった。その後も、月は2〜3度雲間から
顔を覗かせた程度であった。そんなわけで、夜明けの薄明の西の低空で、
欠けた月食像をデジカメで何枚か収めることができた。だから、
今回の月食は、「皆既」としては観測できなかったが、「部分」としては
観測・撮影がなんとかできたのである。…しかし、今回の皆既月食を最後に、
今後数年間はまともな皆既月食は見られない。3年後、2004年5月の皆既月食は、
皆既のままの月没となるようで条件が悪く、今回のように条件のよい皆既は
かなり先にならないと見られないようである。そういった意味で、今回
"皆既"を見られなかったのは残念であったが、でも部分月食ならば今年2001年に
もう一度起きる。だから、その時は最初からクリアな空で、欠け始めから
見たいところである。

 今回は、非常に珍しい皆既月食中の掩蔽(ふたご座δ星食[3.5等])を
見逃したことも残念だったが、でも部分食の幻想的な欠けた満月を見ることが
できたので、よかった。そして、今世紀も様々な天文現象を観測していきたい。
AM03:07 2001.01/11(木曜日)〓